読書記録

本は距離と目方

浮雲

浮雲

林芙美子青空文庫、初出1950

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戦中戦後の女性の苦労を女性がつづった作品ときき、生々しい小説なのだろうと思って読むのを避けていたけれど、そうエグい話ではないらしく読み始めました。

普通に面白い小説でした。時代背景はあるけれど、その戦争の時代と関係なく、人と男女の関係を描いた小説です。一気に読みました。

如何なる星の下に

『如何なる星の下に』

高見順青空文庫、初出1939

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太平洋戦争直前の様子を知りたくて読み始めた。ただ、読んでみると、作家が踊り子に惚れて街をぶらぶらするだけの話に思えた。

浅草と銀座に大きな違いがあった時代だということは分かった。

検閲を意識してか、時々戦争を肯定する記述が不自然に挟まれている気がした。

鬼滅の刃を観て

鬼滅の刃』を観た。親友が随分とはまっていて、そこまではまるには何かあるのだろうと思ったから。ただ、私には違和感しかなかった。これが子供に人気なら、人格形成に影響を及ぼすだろうと強く感じた。

まずは、キャラクターが心の中で思っていることや感じていることを、すべて言葉で語っていること。説明がくどくて青臭い。行間がない。状況から推測する必要が全くないので誤解をする可能性が排除されるけれど、これを繰り返すと状況説明のない文章や映像を理解できなくなるのではないだろうか。

そして最も強く感じたのは男女や家族関係の描き方の酷さ。基本的には家族愛や友情を主軸に置いているので表面的には美しいストーリーだ。ただ下敷きにしている価値観に私は大きな違和感を感じて観るに堪えなかった。観たけど。

  • がむしゃらにでも頑張って戦えばいつか報われる、という筋書き
  • 「僕は長男だから」頑張る、我慢しなければいけないという価値観が延々と続く。実際そのようなセリフがあった
  • 暴力夫に隷従し、期待に応えようと不毛な努力を続けて失敗し、泣いてすがって詫びる
  • 怪我をした少年を、より幼い少女3人がかいがいしく看病し、優しく時に厳しく励まし少年たちを支えている。ある少女は、3人の少年たちの個性に合わせてやさしさと厳しさを使い分けて転がしている状況が描かれている
  • 3人の女戦士の服装が、乳首とお尻の裂け目をかろうじて隠すだけのような衣装(もちろん異常な巨乳で描かれている)、そして精神的には兄貴分の男性に従属している

実際テレビアニメは人気だったようだし、R15指定されているけれど、殺し方の残虐さがないストーリーだったらその指定がされていただろうか。強さとやさしさを描いているように見えて、依存と従属が根底にある。

国富論

国富論

アダム・スミス山岡洋一訳、日経BP日本経済新聞出版、2023

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今から15年近く前だと思うのですが、当時勤務していた会社の税務担当者とミーティングをして、何気ない余談でこんなことを聞きました。税金は、徴収することで経済活動を妨げることがない、最もコストが低い方法で課税しなければならない、と。誰かが書いた何とかという著書にそう書かれている、と。恐らく海外の大学で経済学を学んだであろう人がそう言い、私でも知っている歴史的な著名な人の名前だったのですが、経済学をこれっぽっちも知らない私は誰の何という書籍か忘れて、思い出せずに10年以上が経過していました。

7, 8年前大学院へ行っているときに、学部で経済学を学んだゼミの友人数人に聞いたときに尋ねても、誰もはっきりしたことは分かりませんでした。

昨日ふと、AIに聞いてみたのです。「アダム・スミスか誰か、歴史的な著名な人が書いた書籍で、うんぬんかんぬん。」そしたらまさに、回答がアダム・スミスの『国富論』だったのです。なんと。知らないということは、すぐ目の前ににあっても気づくことができないのですね。『国富論』の最終章「第五偏」国の収入、租税に関することが書かれているとのことです。税務担当者から聞いたときに、歴史で習った名前を知っているだけの人の書籍が、現代の経済学にも生きる知識だと知り、自分には縁遠いと思っていたものを読んでみたいと初めて感じたことを思い出しました。

国富論』と同じく、私にとって歴史上の出来事として認識しているのが『資本論』。これも気にはなるけれど、読む日が来るのでしょうか。

 

翻訳が複数あるけれど、アカデミックなものではなく、ビジネスパーソンが読みやすいものは、この山岡洋一氏の物ではないかということで選択。それにしても、500ページ近いものが上中下の3巻とは、長い旅になりそうです。

 

悪の愉しさ

『悪の愉しさ』

石川達三角川書店、1953年

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友人とある高校の文化祭へ行って、そこで古書の販売をしていたのでその部屋に寄ってみた。文庫のテーブルを3周して、おかしみのあるタイトルだと思って手に取って、冒頭を読むと普通のサラリーマンの忙しくて退屈な日々を描いていて、現代の自分たちと共通するのだろうと思って買って帰ってきた。読売新聞に連載された小説らしい。

会社の同僚と競馬に行くと、嘘をついてだまして、騙されたことに気づいていない同僚を横で見てほくそ笑んでいる。妻と子のある主人公が会社の女性と関係を持ちそれを黙っているけれど、女性が婚約したら女性に対して甘いことを言って圧力をかけて内心面白がっている。そんなストーリーが続いている。

非常に読書家の知り合いに話すと「石川達三は、若者が一度は通るべき作家だと思う、よい本を選んだ」と言われた。表のカバーがなく岩波の薄いオレンジ色の表紙がむき出しで、ページは茶色く色あせていたがとてもきれいだった。生徒の親御さんあたりが持っていたものが古書として出てきたのだと思うと、どんな人が読んでいたのだろうと、思いをはせたりする。

初版は昭和36年、高度経済成長と言われた時代の前半だろうか。主人公は、どこにでもいる普通のサラリーマンだと思っていたしそのように描かれていたけれど、話の最後に、彼のような大企業に勤める人はインテリ、エリートだとあった。女性は、若い女性が同僚として働いていたり、官僚の未亡人や、主人公の妻は不満を抱えながら子育てをしている主婦だ。

 

 

 

政治哲学講義

『政治哲学講義ー悪さ加減をどう選ぶか』

松元雅和、中公新書、2025

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帯に書かれていた「正しさではなくマシな悪」を見て、政治をもう少し知ろうと思って選んだ。政治を学生時代に学んだ友人にこの本の話をしたらこの著者の書籍を持っているらしく、書き方が難しくて読みにくいと言って、序章と第1章の少ししか読んでいないけれど感じていたことと同じだった