読書記録

本は距離と目方

国民に愬う

『国民に愬う』

河合栄治郎社会思想社、1967、河合栄治郎全集第14巻

(執筆は1941年(昭和16年)2月、当時は出版されず全集が初出版)

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読んだ:2024年6月

一言先に言っておくと、期待外れでした。少なくとも、この著作1つで河合の主張だと思ってはいけないし、時代背景と合わせて読まなければいけない著作です。普遍的な自由主義、反ファシズムの著書ではありません。祖父が昭和10年代、師範学校へ行ったころにJ. S.ミルや河合栄治郎を読み漁ていたことを少し前に知り読み始めました。イギリスの自由主義を支持し反ファシズム、反共産主義のため、第二次大戦中に有罪判決を受けた人とのことで期待しすぎたのかもしれません。図書館で23巻に別巻がある全集をざっと眺めて、自由主義や社会思想の専門的な書き物もありましたが、その思想をもとに一般向けに書かれたものであればまずはとっつきやすいだろうと思い選びました。

『学生に与う』と対となるもので、平時の学生向けのものの『学生に与う』を書きながら非常戦時の一般の人向けのことがらを取り置いてまとめたものとのこと。そして『知識人に与う』の構想もあったけれど実現しなかったようです。1941年(昭和16年)2月には書き上げていたけれど、その2年前1939年からいくつかの著書が発禁処分を受け、これも世に出ないままでした。秩序を乱すものを出版した罪で1943年に有罪が確定し、1944年2月に終戦を待たずに病気で死亡しています。1967年の全集に載り日の目を見ました。

これまで戦争を防ごうとしてきたけれど、満州事変、支那事変、日独伊軍事同盟と3段階を経てもう後戻りできないところまで来てしまった、ここまで来たら突き進むしかない、と言っています。もうにっちもさっちもいかない限界まで来ても、それでも河合自身がやるべきことを果たそうとした結果なのかもしれません。妥協したのかもしれません。そうだったとしても、「祖国」という言葉が大量に使われ、心を一つにしなければいけないと言っているのです。表現としてはかろうじて戦争も致し方ないとは言っていませんが私にはそう受け取れました。

有罪判決を受けるほどに政権におもねらず自分の思う主義を主張してきても、限界まで来て発言が変わったのでしょうか。そこで黙らず受け入れられる発言をすることに価値があるのでしょうか。

1つ学びがあった点は、指導が足りず人々の考えがまとまっていない、国民が呑気すぎるから鼓舞しなければいけないと言っています。戦争中は非国民だなんだといって黙らされたということが今の私たちの常識のようになっているけれど、緊張状態が日常に続いただけではなく国のことなど考えない緩さもあったということです。ちょっと新聞を読めばわかると思うが、ということも言っているので、多くの人は、知らない、もしくは無関心なんだろうと思います。裏を返せば、無視無関心を続ければ引き返せないところまで来てしまうということです。

東条英機をはじめ軍人たちがやったことだ、国民は黙らされた被害者だ、赤紙が届き南方へ行かされ、日々の空襲に遭い、二つの原爆を落とされた被害者だと私たちは思わされているのでしょう。当時の政権に非がないわけではないけれど、無関心は当時からあったのかもしれません。「いつ誰が始めたにもせよ、結局は我々一億の全国民の共同の責任である」に違和感をおぼえるかもしれないけれど、これは当時としても正しかっただろうし、民主主義であるはずの今であっても正しい主張だと思います。

時間があれば、これより前の時期の『ファッシズム批判』やまとめられたのは1940年でも内容はその前から発表されていた『学生に与う』なども目を通してみたいと思います。